日記
午前中、おにくさんに送る用の素材を録音する。そのまま練習に突入。保育園が休みなので、午後はりっちゃんとアンパンマンと戯れる。「アパッ!アパッ!」の掛け声が部屋に響く。
夕方、食べ過ぎないように気を付けつつ焼豚とお刺身を食べる。食べ終えてスーパーに食材を入手しにいく。お腹がいっぱいなので、あまり買う気が起きず豚バラと鳥のもも肉ぐらいを買って終えようとする。そのつもりがチーズケーキが目に入りしっかりと手を伸ばしてしまう。
帰ってきて、早稲田大学の探検部の動画を観る。カムチャツカ半島のある未踏の峯をワセダ山と名付けていたが、正式に名付けているのか、自分たちの中だけでなのか、よくわからなかった。ちょっと調べてみると、2017年のものだが”現地の地理協会からも認定され「ワセダ山」と名付ける手続きが進んでいる”という内容の記事を発見。
山側から考えると、「山」と定義づけられていることすら知ったこっちゃないのか、とか考えだすと…以下のループにはまった。
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命名は人間の特権なのか→そもそも言葉が生まれたことにより命名権が発生するのか→ヨハネ一章の「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」みたいなくだりを思い出す→いや、この場合は”原理”の方がしっくりくるんだっけ?→山の形状を原理として捉えるとどうなるのか!!!→???
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観終えて買ってきたチーズケーキを食べながら武満さんの音源『Asterism / Requiem / Green / The Dorian Horizon』を聴く。空間の広さがきちんと録音に現れていて素晴らしい。宅録でこの空間の広さを感じさせるのは無理なのだろうか。…そして、現代音楽の垂直の考え方が自分にはすっぽり抜けていたと気が付く。やられた。ある瞬間のために何もしない、瞬間の効果を最大限にする手法。そこに至るまでのプロセスは一旦無視してとりあえず手法を取り入れれば、何か変化がありそう。
色々と思いを巡らしたまま23時くらいに眠る。