日本
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2021・12・08

日記

午前中は仕事にすべての集中を注ぐ。午後はオーネット・コールマンの流れからドン・チェリーを聴こうと、ドンチェリーとスティーブ・レイシーの共作「EVIDENCE」を聴いてみる。ふむふむ。
この辺りを聴いたり調べていると、立ちはだかるエリントンとモンクの存在…。

(サイト『デューク・エリントンの世界  (The World of Duke Ellington)』さんが引用したきたのをさらに引用させていただきます。)
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自身もピアニストである加藤総夫氏の筆により、
エリントンとモンクの音楽について実に的確かつ刺激的な指摘が述べられている!
特に、エリントンとモンクがしばしば「似てる」と評されることについては以下のとおり。

 …そのタッチの重量感やノリの感覚など、エリントンとモンクを分かつ要素はいくらでもある。また誰でも容易に気づくように、エリントンはピアノにしてもオーケストラにしても、外声と低音の間がびっしり詰まった密集位置のハーモニーを好んだが、モンクは内声を故意に抜かすのが好みだった。
 …作曲家としてのエリントンとモンクを考えてみても、両者の「個性」の違いが一層際立ってくるだろう。エリントンの曲は、「調性」が危なくなるぎりぎり手前に踏みとどまっていたが、モンクの曲はそうではなく、向こうまで踏み込んでしまっている。・・・「パノニカ」では、ツー・ファイヴ(というのもエリントンの曲ではめったに使用されない進行だ)が、故意に異なる調に解決されるし、「エピストロフィ」では、コードは調性を確立させるための要素ではなく、サウンドを面白くするための装置にすぎない。簡単に言ってエリントンは、あくまでオーケストレーションの中で調性を揺らすことを企んだのに対し、コンボ編成での演奏を中心としていたモンクは、曲のハーモニーとメロディーの関係から調性を揺れ動かそうとしていたといえるだろう。

両引用ともに同書の「エリントンとモンク ミュージシャンが影響を及ぼし合うことをめぐる神話」から。

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「コードは調性を確立させるための要素ではなく、サウンドを面白くするための装置にすぎない。」
なるほど…。抽象化すると要素(左記の場合はコード)をどう捉えるかで導き出されるものが変わるということ、こういう選択の仕方(捉え方)を増やしていくと、創作はいい方向にいくのか…。

・オーケストレーションの中で調性を揺らすこと
・曲のハーモニーとメロディーの関係から調性を揺れ動かすこと

この「曲のハーモニーとメロディーの関係から調性を揺れ動かすこと」が具体的にどういうものなのかは、とりあえず、セロニアス・モンクの曲を聴かないと始まらないのか!揺れ動かすとは…?

夜はヒソミネでライブだった。ひとまず到着して、ハイボールとポテトを注文した。むしゃむしゃ食べていると出番がきた。ライブは全て即興でやってみた。明らかなミスの感じもないが、20分以上やる音楽的な体力がないと感じてしまった。自分が客だったら20分ぐらいみたら飽きそうと思った。その類の虚無に襲われつつ収穫もあった。リコーダのライブとしての役割が何となく見えた。あとは選択肢(リズム、コード、メロディ、非音楽的要素)をもっと意識して、それぞれの強弱のバランスを瞬時に掴み取る、その瞬時を継続していけば時間の経過も含んだ全体として成り立つ、という予想。

とにかく、その楽器特有の何かを、普段からもっと個別的に捉えていきたい。ヒソミネにはVJさんがいらっしゃて、そこは今回の自分のスタイルと噛み合っていたかと思う。

家に着いて、少し作業をしたり電話したりして就寝。音楽とは何なんだろうか。