日本
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2021・11・02

so sasatani,objective-Saw since 1990.02.02

日記

午前中、シュトックハウゼンを聴いた。サン・ラーを初めて教えてもらった時、フリージャズに初めて触れた時の感覚に似ている。衝撃的。その時期は「ファラオ・サンダース、やばい!」となっていたが、ある程度ジャズを聴き始めるとファラオ・サンダースの咆哮のような音楽は演技ではないが、精神そのものから出てくるものではないという発見をした。エンターテイメントとして昇華している説。本当のところはわからないが、なんとなくそう思う。コルトレーンのガチな感じとは違う。

よく考えれば、現代音楽も聴き込んだことがないため、シュトックハウゼンに雷を落とされただけなのかもしれない。シュトックハウゼンについて少し調べてみると「直観音楽」なるものを提唱していて、こういうコメントもあった。


「私は精神主義的な降霊術を求めているのではない、音楽を求めているのだ。私が欲しいのは精神主義的な降霊術ではなく、音楽なのだ!私が言いたいのは神秘的なものではなく、絶対的に直接的な、具体的な経験に基づくものだ。私が念頭に置いているのは、不確定性ではなく、直観的な決定性なのだ!」


これからの指標になりそうな発言でありがたい。音楽の根幹は即興であるとは思うが、個人それぞれの必然性のようなものが存在するはず。数年間、毎日音を創っているが、PCの中だけでほぼ完結させている。ここから段々と「身体的な音楽をしていこう」という展開。(楽器と身体の一体化)
ただ言うは易し状態で、これに関しては日々鍛錬。自分自身に「続けなさい!」としか言いようがない。

これとは別、多分、この先にあるのは、空間との関わり方な気がする。シュトックハウゼンを聴いた時に「空間の魔術師かよ!」と思った。録音方法や使用する楽器や場所などを要素とする。その根底には空間の把握能力がなければ、良い方向に向かない気がして。「空間の把握能力って何?」というのは、別途考えなければ。

と、何はともあれ現代音楽に触れて、音楽に関する思考の展開みたいなものが生まれた。いいきっかけにしたい。ここ3日くらい続いたハウス・テクノパーティと並行して、現代音楽祭も開催決定。(リスナーとして)

頭がシュトックハウゼン一色になり、今日は何をしていたかはほぼ忘れた。午後は取材記事の編集作業をした。作業はその人と向き合う時間でとても濃密で会話しているみたい。しかし、文章はむずかしい。あらゆる効果を考えてその時の最適解を探すしかない。”あらゆる効果を考えて、その時の最適解を探す”というのは、音楽の即興の話にも通じるものがあるなぁと。

夜は明日のライブに向けて新宿のスタジオに行った。ある程度の形にはなっているけど、popi/jective で出来ることはまだまだあると思った。形態や自分たちの特性を活かしたもの。

創作のことばかり、考えていた一日だった。