日記
午前、『構造主義』の続き、最後まで読み切る。自分の行為が大きな流れの中で、どういうものへと繋がっていくのか。捨てるを含むので、あらゆる角度から捉えるのは選択である以上、不可能なのかもしれないがどの枠内であるかの意識。
何々であり何々ではない。それを何々といえば何々であり、何々ではないといえば何々ではない、に置き換えると何かが見えてくるのだろうか。
例えば、蛇であり蛇ではない。言い換えて、蛇といえば蛇であり、蛇ではないといえば蛇ではない。この両者の間に言語の秘密が隠されているのではないか。これはただ切り口が違うだけな気する。言語を言語としてたらしめるもの。と、本の中に出てきた言葉「たらしめる」が引っかかり考える。おそらくそれは不可視であり数値で測れない。
何々といえば何々を抜きにすると、何々を何々とたらしめるものに着目するしかないのか。アイドルがヒップホップのビートで歌ってもアイドル、と考えると在り方(そのひとつは蓄積が形成した、とある状態)という話に繋がりそう。ぐるぐるぐる。たらしめる。
読み終えて Yogee New Waves さんを聴いて掃除。引越しをして間もないので掃除の要領を得ない。クイックルワイパーのお掃除シートも見つからず。
日曜日にむけてのリハーサル。新しく作ったトラックを中心に考える。既存の曲と別のオケに載せ替えてみる。
そうこうしていると夕方近く。骨つきの鶏肉が余っていたので、長ネギとにんじんと一緒に焼く。ジャパンミートで買ったミートスパイスをかければ、何なりとなる。「スパイス頼りの骨つき鶏肉焼き」と名づけてビールといただく。この瞬間が幸せ。
夜はりっちゃんと2人でお留守番。隙を見計らいアラン・ドロンが主演の『BIG GUN』を観る。酒井抱一の本の続きを読んで大月さんの AI 画像を auly mosquito の展示コーナーに反映して1時頃に就寝。