日本
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2021・10・23

日記

今日はイベントのお手伝いで横浜の妙蓮寺に行った。降りた瞬間にお寺がある駅。早速、迷子になりつつ…気がつけば会場に到着し消毒係をした。消毒係はキャッチャー的なポジションでみんなを見渡せた。司会を務めていた晴居さんが「スーパー消毒マン」と命名してくれた。以後、スーパー消毒マンとしてマイクを拭いた。合計すると20~30回はマイクを拭いたと思う。コロナがなければマイクを拭くこともなく、スーパー消毒マンも存在しないのだろう。

古民家とは聞いていたが、想像以上に雰囲気が良かった。こんな場所で宴会を開ければ、なんと至福か…。みんな一生懸命に朗読をされていた。ゆうさんも司会に準備に奮闘していた。ハーネ・マリーさんの座っている姿がとても印象的だった。普通に座っているだけなのに、心に残る所作と表情。神保さんのパフォーマンスがすさまじかった。一回戦のハーネ・マリーさんとの戦いは”ヒップホップ vs クラシック音楽”みたいな構図に思えた。

ほりぐっちゃんも頑張っていた。行きの電車で彼の詩集『余地をみる』を読んだ。彼の雰囲気の根源は自然に対する畏怖、尊敬、ひいては信仰だと改めて。終わった後、ほりぐっちゃんとスタイルの違いについて話していた。「白い塗り壁を見たときにどうするか」を例えとして、そこから足すかそのままにするか。「ただそこに白いご飯がある」でとどめるのか、「白いご飯のお茶碗を遠方から眺めてみる」までいってしまうのか。足すか引くか…。それは東洋的か西洋的かみたいな…2人とも分かっているのか、分かっていないのか、わからないが話した。こういうのは『弁証法はどういう科学か』で読んだ観念論者か唯物論者の分け方としても考えられるのか。そこからは逐一、自分の行動と言動が西洋的なものに思えてきたが、(それはさすがに)家に帰っている途中で普通に戻った。

結果、禅の話になり金沢の鈴木大拙館をおすすめしてくれた。「雅の文化の京都の華やかさとは違う、金沢には武家の存在があったためにより実用的な雰囲気がある」みたいなことを言っていた。

帰りの電車で『ランボー』を観た。銃をぶっ放すというイメージしか持っていなかったが、戦争の後遺症を描いた映画だった。人間が集まってもたらした悲劇が個々人の不幸に繋がっていた。これはある取材で聞いた、”自分より少し力のあるものに忖度を重ねた結果”が生んだものなのだろうか。

さっちゃんの体調もひどくならなかったみたいで、よかった。りっちゃんがおもちゃを投げて暴れている横で、お肉を焼いて食べた。
今日は、緊張と向き合っている大人を間近で見られて良かった。