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感性の生成

『感性の生成』

旋律に触れられる。

それは山のような起伏であり、鼓動である。周波数にて分け隔てるのではない。「そのもの」を「そのもの」として捕まえるのである。修練を積んだ芸術家は感覚に名をつける。一方、探究心のないものは淡い寂寥を覚える前に、そっと蓋を閉じる。

立派に編まれた竹細工の籠を見つければ、誰だって感動するであろう。その精巧さや自我を一切残さない作業に。作用は運否天賦であると気付き、また、踏ん切りをつけた時にすでに決定されているのであろう。

抽象化の三歩手前、種と呼ぶには形がはっきりとせず、屈折の余地がある。可愛い子どものように扱っていては、腐るばかりだ。肥料は主観であればあるほど、力強くあり同時に脆い。頑丈である必要は果たしてあるのか。それは当事者、視線を浴びせる側、どちらに取っても不明瞭である。光明が差したと信ずれば、とにかく印を付ける。この作業は陰鬱でも明朗でも、性質は変われど力量に変化はないのだ。