日本
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2021・11・08

so sasatani,objective-Saw since 1990.02.02

日記

午前中、正統カリフ時代について調べていた。”暴れ狂う馬、うすのろまな蟻”という覚え方まであるのか。語呂合わせ的な覚え方は、今考えればあまりいいものに思えない。学問(勉強)は世の中/世界と結びついている、実感としての情報を軽視している気がして、現在は過去と地続きである感覚が薄れる気が…。同じことなのだけど、もっと広げて言えば、テストで点数を取るためだけにする暗記はやっぱり、うーん…と。

自分の活動範囲およびその周囲だけではなく、それ以外にも常に目を向けることを忘れないように、そう、勉強しましょう。

お昼ご飯はいつも人が並んでいる、ステーキ弁当をやっと食べられた。「…美味い」

夕方『TAXi』という映画を観て、土曜日のリハーサルのため秋葉原に行った。10分前に着くと店員さんが「もう部屋へと入っていいよ」と。「ありがたい」と思いながら部屋に入ると、箱に入った状態のCDJ。おいそれと配線したり準備をしていると、ほりぐっちゃんが来た。いざ、リハーサルスタート。

見たことがない CDJ で CUE をうまく扱えない。CUEに記録した状態からどうやって消すのか、店員さんに相談すると「説明書を探してきますね」と階段を降りていった。

よしこれで一安心。その他のボタンを駆使してリハーサルを続けた。2時間後、お会計。説明書を探しに行ってくれた人と同じ店員さん。説明書についての言及はない、迷ったような表情も全くない。「説明書を探してきますね」はこちらの幻聴だったのかもしれない。心に残るいい思い出になった。

今回のスタジオもlighthouseさんの時もそうだけど、演者とか関係なく総動員して用意していく感じはすごい好き。それは役割を徹底的にこなすプロフェッショナルな姿勢とは程遠いのかもしれないが、変な傲慢さが出やすくなくていい。(何かしらの本来の姿…?)

popi/jective で活動することによって、パフォーマンス以外のことも含めた「objective-Saw」としての全体の整え方のコツのようなものを掴んだ気がする。ソロ活動なので物理的には一人だけど、技術的な部分をみるのではない、個人の性質をみる検査員をこしらえる意識…。ゆうさんが結構前に話してくれた、「創ったものをどういう包装紙で包むのか」とかそこらあたりの。

下記はDragon Chopさんのインタビューにあった発言。

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カッコつけ切る、わざとやる、変なことも思いつきじゃなくて狙ってやる。
その経過を冷めた目で見る能力がないと一流のミュージシャンにはなれない。

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向上したければ、やはり冷めた目で見る検査員が必要。その前提として”憧れに近づきたい”の粉砕、もっと広く言えば余計な執着からの脱却。「自分がどういうパフォーマンスをするか」という観点だけでは、コミュニケーションのはずがただの自己満足に変貌しかねない。お客さん、空間、時間…。ありがたいことに考えることは山積み。

帰ってきて、ゆうさんと slam とかの話をした。話が尽きない。やいやい。